感情的になること
感情的になるとは、理性を失っている状態。それだけであれば、良くも悪くもない状態。
基本的に「感情的になる」というと、好ましい状態として用いられることは少ないと思います。
感情的になっているときとは、怒り、イライラ、何かを、または誰かを批判、攻撃していることを表す方が多いと思います。
なぜ感情的になってしまうのか
感情的になるときは、
「期待値からの差」
期待していることに対して、結果との差異が大きいときに感情的になることが、感情的になる人が多いです。
ただ、これだけであれば、良くも悪くもないのです。
減点主義者が感情的になると
感情的になることが問題になるのは、期待値を下回る、期待を裏切られたと感じた減点主義者の振る舞いにあります。
減点主義者の期待値は100点です。
それを少しでも下回る、減点するポイントが発生するとき、減点主義者は感情的になります。
なぜ、できないのか。
なぜ、やっていないのか。
なぜ、問題が発生したのか。
こういう問いに、感情を結びつける減点主義者は、怒りとイライラで相手を攻撃する、攻撃しても良い、攻撃するべきであると考えます。
頭ごなしに怒鳴る、ミスをひたすら責める、誰かと比較して貶す、「またか」、「もういい」という態度を示す…といったことをするのは、減点主義者の考える良い指導の方法です。
感情的な減点主義者が発する言葉に、イラっとするや、ムカつくなど、ネガティブなワードを含めて言葉通り感情的に相手を追い詰めます。
相手をどれだけ攻撃してもかまわない=減点主義者
感情的なペナルティストは、とにかく人の至らない点を見つけては攻撃をします。
最近よく言われる、「ネット上で正義を振りかざす人」そのものです。
悪いやつは許せない、そんな奴ら見かけたら晒して正義を振りかざずにはいられないのが正しい道徳=性善説=減点主義である、と考えています。
これはとくにネットに限ったことではなく、普段の生活からやっているのです。
相手を強く否定、批判することが、
他人のため=相手を減点することが目的
自分のため=相手を減点して自分の優秀さを証明するため
組織・社会のため=道徳的に正しい自分でいられるため
という構造になります。
ネットでよく言われる「誤ったら死ぬ病」なんていうのも、減点主義者、他者に対する減点主義者にとっては、本当に死を意味するのでできないのです。
加点主義者が感情的になることは正反対
感情的になるといっても、加点主義者にとっては正反対の意味をもちます。
加点主義・アディショナリズムは、相手に加点をすることが本質です。
加点主義者が感情的になる場合は、喜怒哀楽の喜。他者を感情的に褒めたりたたえたりすることが、加点主義者の感情的な行為です。
子育てにおいても、こどもの褒め方で
「褒めるときは感情的になりましょう。」
というものがあります。
これが加点主義者の方法です。
「褒める時は、冷静になってしまう。感情的になるのは怒る時。」
これが、減点主義者の考えです。
自分がペナルティストかアディショナリストかがわかる方法があります。
感情が向かうベクトルがネガティブ=減点主義者
→ 相手を否定するときに感情的になる。
感情が向かうベクトルがポジティブ=加点主義者
→ 相手を褒めるときに感情的になる。
まずは自分がどちらかを理解しましょう。
そこから変化が起きてきます。