高学歴、海外留学、国家公務員
彼は国立大学の大学院で修士課程を卒業し、海外留学、米国主要大学研究員、そして国家公務員になり、現在はエンジニアとして働いているという経歴。
人とのコミュニケーションにおいては、伏目がちでなかば人を見下しているような表現もあったり、大抵の人からすればたぶん関わりにくい雰囲気をもっている。
話しているうちに、留学の話や研究の話、それから自分の趣味などの話もするようになり、最初あった時とはまた別の顔も持ち合わせていた。漫画の話や留学の話などは本当に楽しそうに話をする彼。
話しているうちに彼は、自分はこのままいくと生活保護になる気がすると言う。
すべての仕組みがわかる
彼は生きていくうちに、いろいろな仕組みや、「なぜそれがそうなっているか」がわかるようになったという。
教育についても、昨今の組体操の問題や、画一的な教育なども、もともとの日本の教育の仕組みがわかれば、それが起きることは正しいと言う。もともとの教育の方針から照らし合わせてみれば、末端に現れるいろいろな問題は、それを指摘したところでどうしようもない。
国の上層部の頭の良い人達は、ちゃんと考えてやっているから、それそのものだけを問題視するのは馬鹿げている、と。
また、今の自分がいる業界も先は見えている、とか、またアメリカにでも行くかな、などと話す。
ただ彼はやる前からだいたい先のことがわかってしまって、それで終わってしまうと話す。だから自分は、そもそも働きたいと思わない、むしろ働くことが嫌いだから、このままならいずれ生活保護になると思うと話す。
やりたいことがない
仕組みや可能性がみえてしまって、そもそもやりたいことがない。
ちょっとやろうと思うことはあっても、まぁだいたいこんなものかなとすぐにわかってしまって、やるまでにならない。
頭の良い彼なので、すべてがすぐにわかってしまうとのこと。
正直いろいろ、みんなやってることも大したことはない。他の人達がやってることも、実は大したことはない。
だから、やりたいことというのがなく、この先になにか目標というのもない、と。
コスパが悪い
いろいろやっても、お金に換算すると大したことにならない。
ネット上で評価されても、それに対する労力を考えると、なんかがっかりする。
だいたいコスパがわるいとすぐにわかるので、やるまでには行かないと。
話を聞いていくうちに、バカバカしい画一的な教育、起業なども多分できる、自分はすぐになんでもわかるという彼の話は、
根本的な価値観がお金の尺度しかない
国が受験で理系科目を重視し文系科目を軽視するが、べつに理系も文系も両方ともとくに違いはなく、両方ともに役にも立たないし、役に立たせる目的ではなくあくまで能力をはかるものなので、と彼は説明する。
いろいろなしくみがわかる彼なのに、自分の行動基準が「お金」のみになっている。
そこに、彼の最初の態度や、そこにある恐れというものが現れてきます。
批判が怖い、失敗が怖い
能力も高く頭の良い彼だが、
やろうと思っても、だいたい見えてしまう
できてもあまりうれしくない
やりたいことがない
じゃあ例えば話もすごく面白いから、ブログやってみたら?というと、
「批判されるのがいやなので、無理かも」
あれだけいろいろとわかってしまうのに、
批判されるのが怖い
ここから彼の根底にあるのが、
他者からの指摘、批判に対する恐れが強い
日本の教育の仕組みがわかっている彼でも、その教育が生み出したいわゆる減点主義のありかたから逃れられていないことに彼自身気づけず、彼自身をしばっている「減点主義」が、彼の能力を持ってしても逃れられない強い力があるということがわかります。
尺度がお金だけであることも、周りの価値観から外れることの恐れがあります。お金というわかりやすい強力なものさしで、自分のやることが周囲から外れていないかを確認しています。それはまた、批判を恐れる、批判から自分を守ることに役立っています。
能力が高ければ高いほど、無意識に「失敗」や「批判」を恐怖し、それが自分を縛り付けてモチベーションもなくなっている。
これが、減点主義がモチベーション、生きる力を削ぐ理由です。
まずは自分自身を知ることから
自分自身の問題のことは、やはり理解することが難しいです。
それを意識して理解する一つの手段が、「減点主義」が根底にある可能性があることをまず理解することです。
モチベーションが低い、やる気が起きないという状態は、自分の意識にあります。
それに影響を与えている、モチベーションをなくしている一つの要因が「減点主義」です。
「減点主義:ペナルティズム」は、いろいろな「恐れ」を生み出しています。
自分は何を恐れているのか
それをまずは自分で内省してみると、そこから浮かび上がるものがあります。